海潮音 上田敏訳  アルトゥロ・グラアフ

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解悟 アルトゥロ・グラアフ

頼み入りし空なる幸の一つだにもル忠心ありて、
   とまれるはなし。
そをもふと胸はふたぎぬ、悲にならはぬ胸も
   にがき憂に。
 
きしかたの犯の罪の一つだにも、懲の責を
   のがれしはなし。
そをもふと胸はひらけぬ、荒屋のあはれの胸も
   高き望に。

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ハナズオウ

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艶やかな色が印象的。遠くからでも分かる花!ただユダの木と呼ばれる種類もある。

花蘇芳 Chinese redbud
和名の「花蘇芳(ハナズオウ)」は、花色がスオウ(蘇芳)で染めた色(蘇芳色:黒味を帯びた紅色)に似ていることに由来し英語では中国原産のハナズオウを「Chinese redbud(中国のハナズオウ)」、南欧から西南アジアにかけて自生するセイヨウハナズオウを「Judas tree(ユダの木)」と呼んでいる。

春の花。花色は赤紫、赤、紫、ピンク、白。

ハナズオウ全般の花言葉
キリスト教の十二使徒の一人であるイスカリオテのユダは、イエスを裏切ったことを悔い、セイヨウハナズオウの木で命を絶ったともいわれている。このことから特に欧米においてセイヨウハナズオウは「Judas tree(ユダの木)」と呼ばれ花言葉の「裏切り」「不信仰」もこれに由来するといわれているがはっきりした事は伝書にはない。

「裏切り」「不信仰」

セイヨウハナズオウは、キリスト教圏、特に欧米では「ユダの木」(英語: Judas tree, ドイツ語: gewöhnlicher Judasbaum)と俗称されるように、伝統的に、イスカリオテのユダが首吊りに使った樹木であると看做されてきた。このような通念は、フランス語の通称「ユダヤの木(フランス語: arbre de Judée)」からおそらく誤って派生したものであろう(「ユダヤの木」とは、この植物が地中海方面に自生していることに関連した表現である)。以上引用

ハナズオウ誕生花
3月16日
 
西洋の花言葉(英語)
Judas tree(ハナズオウ全般)
「betrayal(裏切り)」「unbelief(不信仰)」
 
旬の季節: 春
開花時期: 4月~5月
 
科・属名: マメ科ハナズオウ属
学名: Cercis chinensis
和名: 花蘇芳(ハナズオウ)
別名: 蘇芳花(スオウバナ)
英名: Chinese redbud
原産地: 中国

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八王子久保山公園のハナズオウ!

竹久夢二 随筆集「砂がき」より 生活小觀

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    生活小觀

 三年ばかり東京に居なかったので、此頃人に逢ふと「どちらにお住ひです」と聞かれる。「どこにも住んでゐません」と答へたいが、それでは氣の知れない人に心ない感じを與へさうで、「まだきまりません」と答へる。どうせ私どもは下駄を造るやうに幾つも一時に建てた貸家へ入るのだから住むといふ心持なんぞする筈はないのだ。私の中學時代では、スヰートホームという言葉が今のデモクラシーのやうに若い心を動かすほど、まだ世間が穩かであつた、つまり生活に對する實感が異つてゐたのだつた。しかし、私は此頃はしみじみとあの頃とは別な内容からスヰートホームを望むことが切になった。自分の家がない爲であらうか、妻がない爲であらうか、いや/\それはもっと深いところから來てゐる要求のやうに思はれる。
 東京から遠い温泉の旅籠で、偶然東京地圖など披いて見る事がある。十數年間の東京生活が恰度外國の遊戲にある Who,When,Where,What のやうに思ひ出される。だが何時として何處として、心地よく住んだ日とて所とてないのが思はれる。でも、東京の市内ではどんな大厦高樓を見てもついぞ好ましいと思つた事はないが、田舍で北に山を持ち、南に果樹園、菜園、田畑を持つた白壁の家を見ると、今は人手に渡つて住むべくもない生れ故郷の家屋敷がなつかしまれる、「業もし成らずんば死すとも歸らず」と言つて郷關を出たのだが、そも/\業とは何であつたらう。
 ある科學者は、幾千年の後には人類が跡を絶ち、バチルスが代つて地球を支配することを豫言してゐる。ある社會學者は浮世を住みよくするために、命をかけて生活組織を改造しようとしてゐる。住宅の改良といふことも、つまりはそこまで押つめて行かねばなるまい。さてそうなれば、わけもなく住心地よき住宅は自ら造られる時なのだが、それまで待つてゐなくてはならないだろうか。
 子供の自由畫という事が事新しく言出されたが、一時やかましかつた自由[#「自由」は底本では「自田」]戀愛、自由結婚とおなじやうに、もつと深いところまで問題にしないで是非曲直をきめてしまつたせゐか、昔ながらに戀は曲者で、結婚は家庭行事だ。必ずしも庭園を公開するだけの意味でなく、自由住宅の時代は來ないものだらうか。ある時代に空想したやうに一輛の馬車に、バイブル一卷、バラライカ一挺、愛人と共に荒野を漂ふジプシーの旅に任しゆく氣輕さは、いまはあまりに寂しい空想である。けれど、煉瓦塀の上にガラスの刄を植ゑた邸宅の如きが凡てなくならない限り、自由住宅の時代は來ないであらう。




ムクナ・ベネッティー

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世界一美しい花のひとつに数えられている花。ラフレシアもそのひとつだがこの花の方が断然好き!どちらも希少な花だよ

ムクナ・ベネッティー
蔓は長さが20 m以上になり、12月半ばすぎから1月にかけて、葉腋に総状花序を下垂し、オウムのくちばしのような花を数十個付ける。  つぼみの時から鮮やかな緋色であるが、開花するとさらに炎のような緋色が周りの緑に映える。  1983年11月末に、東山植物園にて、日本で初じめて開花した。
春から初夏にかけて、中央ヤシ室、東花卉室では、ムクナ・ベネッティと形態はよく似ているが花色が対照的に涼しげな翡翠色の ヒスイカズラが総状花序を垂れ下げる。

ムクナ・ベネッティーの花言葉
「永遠にあなたのもの」


分 類:
マメ科トビカズラ属
学 名:
Mucuna bennettii F.J.Muell.
和 名:
---
英 名:
New Guinea creeper
原 産:
ニューギニア
生活型:
常緑蔓性木本

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俺が見たのも東山植物園!温室栽培なんで開花は11月頃かな?

竹久夢二 随筆集「砂がき」より 上方の女と江戸の女

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 上方の女と江戸の女

 京都、大阪、東京の三都の女に就いて何か書いて見ないかとの話しに、つひしたはづみから受合つたが、催促の電話を受けた時分には、もう大分女の話も氣が進まないで何にも書けさうもなくなった。で、近く出版する筈の俗謠集「露地の細道」を纒めている時思ひ付いた思ひつきを書くことにした。
         ○
 京の六波羅に、豌豆の出來る畑がある。口へ入れると淡雪のやうに溶けて、しかもねつとりと身につくやうに甘い。同じ苗を移しても他の土地では育たないさうで、思ひ付きをほめられたさに東京の上司氏に贈ると「上方の野菜物は甘い、關東に食へるものなし、江戸は穢土なり」といふ意味のハガキを貰つたことがある。京の女は、この豌豆の味ひを持つてゐるやうだ。他の土地ではとても育ちさうにもない、郷土的な色調を持つてゐる。
「江戸者でなけりやお杉は痛がらず」という川柳がある。昔、伊勢の古市でお杉お玉が三味線を彈いてゐた。諸國の觀光客が面白半分に顏と言はず手と言はず投錢をしたのださうなが、江戸の客が一當大きな奴を投げるのでさう言つたもので、江戸つ兒の気前を見せたものである。
 所謂、江戸つ兒には、日本人なら誰にでもなれそうな氣がするが、上方者はさうは行きさうもない。
 大阪の町人は、素晴しく生活力が旺盛で、實に執着力が強い。男も女も非常に現實的で實際的で肉感的だ。生活と趣味との間に確然と川を隔てゝゐる。
         ○
 最近ある人の手紙に「また芝居の書割りのやうな雪が降りました。雪が降ると洗髮にしたくなります、そして外を歩いてよく風を引くのです」とあつた。これはちよつと京の女も大阪の女もしないことでせう。
 また引合に出してすままいが、東京の雪景色を俗な宗匠にたとへた三色氏の觀方は、芝居の書割りのやうだと言つた江戸の女と好い對比をなしてゐると思ひます。
 東京の雪景色はどこまでも人工的なお芝居じみたところがあることは爭はれないことです。東京に住んでゐると、自然の推移や、氣候の移り變りを殆んど氣付かずに過すことが多い。私どものやうに少年時代を田舍に過したものには、忘れてゐた信仰のやうに、山が戀しくなる時がある。上野の山下から池の端を通る時には本郷の高臺の方を眺めます。牛込の神樂坂を上る時は、きつと峠の茶屋を眼に浮べます。矢來の町をゆく時には必ず小石川關口臺の銀杏の木の上に、白い雲の浮いてゐるのを見逃しはしません。霞ヶ關を永田町の方へ上る時も、九段の坂を下る時も、重なりつらなる甍の熱病にかゝつた遠景をば、少年時代に山によせた憧憬を持つて眺めるのです。新聞に上野の彼岸櫻が咲いた消息が出るより先きに田舍者の私は生理的に春の來たことを感じます。
 江戸の人は、正月の消防の出初式に楷子の下から見る時と、兩國の花火のとき星のまばたく夜景の空を見る外、殆んど空に心をやる時はなかつたかも知れない。
 春信の繪を見ても、歌麿、豐國の繪を見ても、たま/\背景を畫いてあると、何か南畫の粉本からでも借りてきたやうな、着物の線とはまるで[#「まるで」は底本では「までる」]調子のとれない、ぎこちない線條で畫いてゐる。桐の木を一本畫いても、桐の花を知らない。紋所の桐の花を持つて來て枝に咲かせて間にはせておく。
 鼈甲屋の職人は、仕事場のわきに、紅梅を一鉢をおき、歌澤の師匠は、竹格子の出窓に朝顏の鉢植をならべ、番町の御隱居は、床の間に福壽草を据ゑて、せめて自然への心やりをしてゐる[#「ゐる」は底本では「ぬる」]に過ぎない。
 自然の移り變りを畫いたものに、「べつたら市が來た」「あやしき形に紙を切りなして胡粉ぬりたくり彩色の田樂みるやう裏にはりたる串のさまもをかし」酉の市の仕度をこんな風にかいてある。
 江戸の小唄の殆んどすべても、やはり、なげやりな人間のはかないあきらめと、ロマンチツクな意氣張りから戀のいきさつもこだはりも思ひ捨てゝ再び思ひ出すまいとしてゐる心持がどの唄にも見られる。
         ○
卯月八日は奇黄丸それはお前何んのこつたへ、いきもとんまも蟲のせい、むかいのかゝる長ばこのペン/\草にもやるせがねえ。
鳥かげに鼠なきしてなぶられるこれも苦海のうさはらし、愚痴がのませる冷酒はしんきしんくのアヽくの世界。
蟲の音をねぎる不粹も時世なれ蟲もなかずば賣られじを因果となくよくつわ蟲。
秋の野に出て七草みれば露で小褄はみなぬれる、よしてもくんねえ鬼あざみ。
身はひとつ心はふたつ三股の流れによどむうたかたの、とけてむすぶの假枕、あかつきがたの雲の帶、なくか中洲のほとゝぎす。
忍ぶ戀路はさてはかなさよ、こんど逢ふのが命がけ涙でかくす白粉のその顏かくすむりな酒。
かねてより惡性者と知りながら虫がすいたか惚れすぎて薄情さへも場違への親切よりも身にしみていまはしんじつ身もたまも投げた朱羅宇の辻占に命とかいたもむりかいな。
         ○
 京の街はどんな小路を歩いてゐても、きつと路のつきる所には山が見える。それは京の町が昔から言はれてゐるやうに、碁盤の目のやうに南北東西に眞直に通つてゐるから、東西北の三方には實に近く山の姿が見られる。東山が紫にかすむことも、北山に時雨が降りることも、高尾栂尾の山が紅葉することも、京の人にとつては、隨分親しみの多いことなのである。江戸の女に比べて京の女は、着物の裾をはし折つて、よく歩くことが好きだ。櫻が咲いたと言へば、折詰をこしらへて青い古渡りの毛氈をぼんさんに持たせて、嵯峨の方へ出かけて、どこの田の畦でもピクニツクをはじめる。動物園の夜櫻の下、動物の糞の匂ひをかぎながら平氣で高野豆腐をたべる。かくの如き自然兒は、江戸の女の中にはないのである。「お前とならば奥山住ひ」と唄にはあるが、深川の女にはとても田園生活は出來さうもない。
         ○
靈山御山の五葉の松、竹葉なりとぞ人はいふわれも見る竹葉なりとも折りてもこん閨のかざしに。
月のまへのしらべは夜寒をつぐる秋風雲井のかりがねは琴柱におくるこゑ/″\。
世々の人のながめし月はまことの形見ぞとおもへば/\涙玉をつらぬく。
春によせし心もいつしかに秋にうつらふ黒木赤木のませのうちによしある花の色々。
吉野川には櫻をながむ龍田川には紅葉をながむ橋の上より文とりおとし水に二人の名ぞながむ。
 どこまでも品よく、おつとりと自然の風物に心をよせた所に上方唄の特色はあるやうに見える。最後に、京の女について話を添へてこの稿を結ぶ。
         ○
「……一體京都の女は着物をきるんぢやないんです。たゞ身體に卷きつけるんです。帶の結び方も知らないらしい。祇園あたりの女でも、あつたら上等の帶を、くるりと卷きつけてもつさりと結んでゐるんです。だから着付けがすぐに、くづれて、腰から下にまるで都腰卷をはいたやうな恰好になるんです。
 元來、人間の體の最も效果的エフエクチーフな美しさは、立姿にあるんです。人間が他の動物より進化論的に區別の出來るのは、人間は直立して歩くことが出來るからださうです。どんな動物でも脚を一直線に延長して、足の甲と直角をなす位置で直立することは出来ないさうです。動物は必ず膝を曲げて立つてゐます。「布團着て臥たる姿や東山」全くさうです、山が眠つてゐるやうに京都の女は座つてゐる方が、よほど美しいやうです。それで自然的に、立姿の審美的考察が後れたのかもしれません、だから着物や帶は、素晴しく金の高い代物をつけてゐても下駄だの足袋だのは何でも平氣なんですね。足袋なんぞは一文位足より大きいのを穿いてゐますね。早く切れるからださうです。
 夏になると白つぽい着物の下に黒い襟をかける。私ははじめこれは審美的な、コントラストの美しさを知つてゐるのかと思つて、聞いて見たら夏は襟が汚れるからださうです。
 京都では浴衣を外出する時、決して着ません。浴衣がけで歩く女はよく/\着物のない貧しい女に見られるからださうです。
 ドストエフスキーの本の中に「人間は貧乏なことは恥ぢないが、たゞ物を持つてゐないことを恥ぢる」とあったが、京都では、さうぢやないんです。
 貧乏なことも人間の恥辱であり、持つてゐない事は死ぬより辛いことなんです。だから人間が物を持つためにはどんな手段を盡してさへも平氣なんです。昔から「粥ツ腹」だの「京のお茶漬」つて言ひますが、食物は食はないでも、睛れの日に着る物の一通りは持つてゐないと附合が出來ないんです。だから自分に快適な着物とか、好尚から作った物といふのではなくたゞ「あてかて持つてまつせ」という示威運動の一つにすぎない……。
 ……京都の町の全體としても、大阪の方から來る物質的壓迫と東京の――わけてもジヤアナリズムから來る思想的文化が渦をまいて、調和しないで、消化されないでゐるやうです。ある人が京都を評して、中樞神經のない思想生活のない田舍町だと言つたことは一面の觀察だと思ひます。しかし、京都人には恐るべきアナボリツクな所がある。ほんたうに人間が、人類の一人として愛に充ちた正しい純な生活を生活せうという誠實は、少しもないやうに見える。ほんとのことを決して言はない、こちらがほんとのこと言ふのを不思議がるばかりでなく裏をかいて、まるで反對な意味に取つてゐることが多い……。
 ……京都の女は皆それ/″\に市價を持つてゐることは、恐るべき進化か或は羨むべき退化です。古代ブリトン人の婚姻制度よりも徹底的に優秀な習慣を持つて居る。祇園の女で千や二千の貯金のない舞妓はないと聞いてゐます。普通の家庭の女でも、自分の所有に屬する着物を男に作らせるとか、良人に内密で金を貯へておくことは、極普通のことになつてゐるらしい。私が使って居た京都生れの女が「私も身賣りをしませうかしら」とある時都踊りを見せての歸り路で、眞面目に言ったのを聞いて驚いたことがあります。
 食ふに困るからといふのではない、どうかしてより多くの着物を、より美しい帶をしたい。またより多くのお金を貯金したい欲望が唯一の目的なんです。……



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