海潮音 上田敏訳  ガブリエレ・ダンヌンチオ

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篠懸 ガブリエレ・ダンヌンチオ

 
白波の、潮騒のおきつ貝なす
青緑しげれる谿を
まさかりの真昼ぞ知ろす。
われは昔の野山の精を
まなぴて、こゝに宿からむ、
あゝ神寂びし篠懸よル
なれがにほひの濡髪に



海潮音拾遺へ続く
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ガザニア

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ここら辺では道路脇の空き地で栽培されていて良く見かける花だよ!

勲章菊 Gazania
学名「Gazania(ガザニア)」は、古代ギリシアの哲学者アリストテレスなどのギリシア古典書物をラテン語に翻訳したギリシャ人「ガザ」の名前に由来し英語では学名と同じ「Gazania(ガザニア)」や「Treasure flower(財宝のような花)」と呼ばれている。

春~秋の花。花色は黄、オレンジ、赤、ピンク、白など。

ガザニアの花言葉
花言葉の「きらびやか」は、華やかで輝くばかりに美しいその花姿にちなみガザニアの花は朝開き、夕方に閉じる。また、曇りや雨の日も花は閉じる。

「あなたを誇りに思う」「きらびやか」「潔白」

 
ガザニア誕生花
1月28日、6月26日
 
旬の季節: 春~秋
開花時期: 5月~10月
 
科・属名: キク科ガザニア属(クンショウギク属)
学名: Gazania rigens
和名: 勲章菊(クンショウギク)
別名: ガザニア
英名: Gazania, Treasure flower
原産地: 南アフリカ

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世の中せかせかしてる人間が多いだろう?ただ早く移動するだけで周りも観てない。同じ生きるでもちょっとゆっくり移動するだけでこんな花も発見出来るのに残念な気持ちだよ!

竹久夢二 随筆集「砂がき」より 青い窓から

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  青い窓から

   無宿の神樣
 歌集「寂光」の會のくづれが東洋軒の地下室を出ると、銀座の方へ歩くものと濠端の方へ行くものと二組に別れた。
「君はどちら?」
 と誰かゞ聞いた。今夜は何處へいつて泊らうか決つてゐなかつた自分は、ちよつと考へる風をしたが――その實、考へてなんか居なかつたが、
「こつちにせう」
 さう言つて濠端の方へゆく一團に加はつた。
「君は此頃何處にゐるんだ」
 と自分が彼に肩を並べるとY君が聞いた。何處に住んでゐるんだと彼は聞いたに違ひないのだが、説明がちよつと面倒だから、
「何處にでも」
「ぢや神樣のやうなものだね」
 皆は一齊に笑つた。自分も笑つたが、
「今夜は何處へ泊るんだね」
 さつきの戲談のつゞきで、
「信ずる者の所へ」
 そうは答へたが、何故か笑へなかつた――皆も笑はなかつた。
 帝劇の前へ來ると、皆に別れて、濠端を神田橋の方へ歩いた。月があつたのか知ら、二重橋が程好いおぼろの中に明るく見えた。田舍の小學校で善良な生徒であつた頃、讀本の挿繪で見た二重橋の歴史的壯厳の感じを受けた外、今夜のやうに重い美しい均勢を持つた二重橋を見たことはなかつた。明治神宮のどこやらを飾るために畫いたという藤島武二氏の繪を、いつか先生の畫室で見たのを思ひ出す。ちよつとドガの競馬場を思出させるやうな風格のもので、意氣な馬と馬車とシルクハツトを着た御者を前景にした二重橋の風景だつた。二重橋でも繪になるものだな、とその時思つた事だが、今夜は全く別な趣きを持つて見えた。
 しかし、無宿の神樣は、ちよつとさう思つたきりで、足をも停めずに暗い濠端の敷石の上を、綱渡りの冒險の快感を、すこしづゝ味ひながら神田橋の方へ歩いた。
 いつか藤村氏が「並木」という小説を書いたシーンはこの邊だつたな。あの小説の中だつたかな、何でも年老つて世にはぐれた男と、世に頼りない若い女とが、裏街裏街とさまよひ歩いて、人中へ出れば出るほど寂しくなつて、寄り所のない魂が二つ人目をさけて手をとり合つたことが書いてあつた。
 無宿の神樣は、そんな事はどうでも好かつた。折しも後からすばらしいヘビーで駈けて來た電車がいま/\しかつたので、それへ飛び乘つた。「本郷肴町行」まゝよ、肴町なら恰度好い、高林寺へいつておしのの墓へでも詣つてやらうかな。
「やあ、また一所になりましたね」
さつき帝劇の前で別れたS君が乘つてゐる。變にはぐれた心持でS君はしばらく默つてゐたが、
「先頃の旅はどちらでした」ときく。「はゝあ、莊内の方は好いさうですね、女が美しくて」
 氣まぐれにおそろしく雄辯になつて自分はしやべつてゐた[#「ゐた」は底本では「ぬた」]。
「莊内は、江戸の文化に影響されずに、浪華・長崎・金谷の港を經て日本海を船で、天平や切支丹がまつすぐに來たんですね。昔から傳つてゐる調度は無論だが、地方の農家で婚禮の時に使ふ簟笥掛だの傘袋だの風呂敷の紺木綿の模樣デザインが、悉く天平物です。女の顏もやはり天平顏ですね。そのくせ男の顏は諸國の影響を受けてゐるせゐか、純粹の大和民族といふ趣はありませんね。ぼくはこゝで降ります」
 須田町で降りてぼんやり――さうだ、ぼんやりという姿勢ポーズではあつたが、なか/\ぼんやりしてはゐなかつた。電車や自動車になど脅かされるのがいま/\しいから、銅像の下へ立つてゐたのだ。いつもこゝを通る時、電車の窓から見えるのは、中佐殿の脚下に見得をきつてゐる何とか曹長の顏だけだが、今夜はつく/″\中佐殿の雄姿も仰ぎ見ることを得た。中佐殿はまだ好いが、曹長の耕されてゐない、何を植えても生えさうもない荒地のやうな、せゝこましい、とても怨めしさうな勇しさは、今にも躍りかゝつて、さうだ何の見わきまへもなく劍附鐵砲で突刺されさうなのであつた。
 それから無宿の神樣は、信ずる者の所へいつたであらうか、それを知つてゐるのは、お月樣だけでありました。

   山の話
 登山會といふ會はどういふことをするのか私は知らないが、多分、人跡未踏の深山幽谷を踏破する人達の會であらう。自分も山へ登る事は非常に好きだが、敢て、高い山でなくとも、岡でも好い。氣に入つたとなると富士山へ一夏に三度、筑波、那須へも二度づゝ登つたが、いつも東京の街を歩くよりも勞れもせず、靴のまゝで散歩する氣持で登れた。その位な登山の經驗で山を語る資格はないのかも知れないが、山は必ずしも登らないでも眺めても、好いものではないだらうか。九州の温泉岳は就中好きな山だつたが、島原町の船の中から望み見た山のたゝずまひは、石濤の畫いた繪そのまゝの、近づきがたい容威と、抱きよせるやうなシヤルムを持つてゐる。誰が名づけたか島原では眉山と呼んでゐる。島原の港を前景にして九十九島の島影に船を浮べて見る眉山は、仰ぐといふほど近くなく、望むといふほど遠くなく、實に程好い麗しさと險しさを持つている。この土地で盆祭りや精靈流しのことも書きたいが山の話に返らう。
 海から見る山では、讃岐の象頭山と神戸の摩耶山を思ひ出す、象頭山は十六歳の私、郷里を落ちて九州へゆく時祖父と二人酒船の中から見たのと、神戸の中學へ入學した年、船の中から見た摩耶山は今も忘れないが、今見たらつまらない山かも知れない。しかし紀州灘で見た熊野の連峰や、鳥海山や、彌彦山は今見ても好からうと思はれる。
 山は成長するものか、衰退するものか知らないが、文晁の名山畫譜を携へてあの山々を見較べて歩いたら面白からうと思つた事がある。文晁畫譜は彼が初期の作であらうか、非常に寫實に畫いてゐるから、日本畫の弊として筆勢らしいものがいくらか山の特性を失つてゐるかも知れないとしても、克明に寫生して後世に殘したものは有難いと思ふ。
 いつの夏であつたか、加賀の白山つゞきの藥王山の麓にある、湯涌という温泉にゐたことがある。ある日曜日に金澤から見舞に來て呉れたN君と、晝飯をすまして宿の二階で、參謀本部の地圖を展げて見てゐると、湯涌村から地圖の上で二三寸山の方へ入るともう路が盡きてゐる。參謀本部の地圖に描いてない位だから人跡未到の地だ。
「一つ探險に出かけませうか」
 そんなことを言つて出かけた。
 地圖を見ながら、二里――或は三里ともまだ上がらないうちに果して路は盡きてゐる。地圖によると左右に二つばかりの峰を越えて藥王山があるわけだつた。左手の方は白山まで地圖の上で七八寸ある。
「どちらへ行つたものだらう」
 獨歩は「武藏野」の中に「路がわからなかつたらステツキを立てゝそれの倒れた方へゆけ」と書いてゐたが、吾々は白山の方へ向つて歩いた。さう書くといよ/\探險らしいが、登山らしい何の用意もなかつたことだし、實は、自分達は湯涌へ流れ落ちてゐる川が、今自分達の歩いている峰の左手は谷にある筈だから、どんなに間違つても川の方へさへ辿りつけば路を迷ふ氣遣はあるまいといふ、用意周到な冒險であつた。
 それがN君は、親讓りの時計についた磁石を取出して方向を見たりして、ひとかどの冒險らしく振舞つたことが、その時は、さほどをかしくも不自然だとも思はなかつた。
 昨夜からひどく降つた雨も、今朝からすつかり上つたけれど、雨の多い山國の初秋のことで、鼠色の雲が空を閉ざし、白い雨雲が國境の方の峰から走つて來ては、足もとをかすめては谷を越えて、向ふの峰へ飛んでゆくのが、冒險家に一入の風情を添へたのだつた。
 一つの峰を越えて次の谷へかゝつた時には、足許がかなり危かつた。雨上りの岩角は滑るし、土の肌の見えないまで落ち積つた枯葉は、ねと/\と靴を没して、歩き辛いこと夥しい。はじめのうちは、珍らしい蕈や、見たこともないやうな草花を寫生したり、採集したりしたが、今はもう、口をきくのさへ臆劫になつて來た。この場合もしどちらかが口をきくとすれば、「よわりましたね」とか「草臥れませんか」と言ふ外なかつたのだから、二人は弱氣をかくして、默つて勞り合ひながら次の峰を登つていつた。
 漸くのことで、峰の頂まで登りきると、申合せたやうに、そこへ――濡れた草の上へ、べつたり腰を卸した。
 行くみちはあまりに遙かだつた。
 私達は、來た方を見返へつた。だが今越えて來たばかりの峰さへも見えなかつた。
 眼で見えない時は、耳で見る。
 白い雲の底に、かすかに瀬の音を、二人は聞いた。そして稍安堵の思ひをなした。
 マツチを五六本費して辛うじて、煙草に火をつけた。先年、金澤の高等學校の學生が白山で行衞不明になつたことを思出したが、それを話題にするには、あまりに實感が恐かつた。
「さあ、また歩きますかな」
 二人は立上つたが、歩き出しはしなかつた。もつと先へ行くか、バツクすべきかと言出しかねて立つた。おなじ道を引返すことは、どんなに窮しても興味のないことだし、やはり、白山の方角へ向いて谷の方を見てゐた。
「あれは何でせう」
 自分は、土肌を露した山の中腹に小屋のやうなものがあるのを指した。
「炭燒小屋でせう」
「兎に角、あの方向へいつて見ませう」
 さう言つてまた峠を下つていつた。こゝで二人はかなり元氣を囘復してゐた。
 果してこれは炭燒小屋であつた、人がゐるとも見えなかつた。
「こゝからなら川の方へきつと道がありますね」
 二人は路を見つけて、その路を歩き出した。路は次第によくなつた。そして川の方へ向いてゆくのだつた。言はず語らず、二人はもう歸途に就いたのであつた。川瀬の音がはつきり身近かに聞かれるやうになると、路は急な坂になつた。二人はもう、別な冒險をやりながらどん/\走つてゐた。
「來た/\」
 幹の間に、白い小川がちら/\と見えるのだつた。瞬く間に私達は、川の淵まで降りて來た。そして路は川の向ふについてゐる。上から見た時には、一間にも足りないまでの川だと思つたのに、淵へ来て見ると、夜來の雨で水嵩が増して二間位ある。その黄ろい水が渦を卷いてゐる。幅二間半とは、後で考へたことで、その時には音にきく富士川の激流のやうに思へたのだつた。だから、勢よく先きに歩いて來た、N君はいきなり飛越える姿勢ポーズをとつた瞬間、自分は抱きとめてしまつた。ほんたうは、たとへいくらかは水に濡れるにしても、坂を走つて來た勢を止めずにいつそ飛こんだ方がよかつたのかも知れない、と後で思つたことだが。
 さて、抱きとめられたN君も、淵に立つて水の勢ひを見るとさすがに二の足をふんだものか、當惑した顏を見合した。水の淺い時は、山の人たちは、徒渉るのと見えて大きな岩が川の中に並んでゐる。向岸の水際に破れた檜笠と草鞋が半足ある、そいつが馬鹿に陰氣に見えるのだつた。こゝを渉らうとして溺死した人間を想像させる哀れな姿ポーズをしてゐるのだつたから。
「どうせう」
「まづぼくが瀬ぶみに飛んで見よう」
「ちよつと待ちたまへ」
 自分はさう言つてN君を制して、二三間川下の岸に立つてゐるねむの木を見つけた。昔、讀本でよんだ古智に傚つて、その木へ登つていつた。ところが靴だもので、うまく登れない上に、その木がまたひどく細いので五六尺登つた所で、川の上へしなつてしまつた。今一尺先へ進んだら、多分川の中へ落ちさうに、ぶらつとしなつたのだ。
 往來で轉んだ人が見られはしなかつたかと氣兼するやうに、N君の方へ見返ると、N君は笑つてゐる。
 川のまん中で考へて見ると、たかゞ、丈のたゝないほどの川でもあるまいし、一里や二里から泳いだことのある自分だし、何を恐れてゐるんだらう。これも後で考へたことなのだが、この場合、たゞ濡れることを恐れたに過ぎなかつたのだ。
 時計と、紙入と、寫眞機をポケツトから取出して、向ふ岸へ投げておいて、身體を二三度搖つて反動をつけておいて、向ふ岸へ飛んだ。左の足は水へ落ちたが右の足は辛じて岸へかゝつた、
 N君はやつぱり、はじめの所から飛ぶことにした。思つたよりも樂に、足を少し濡らしただけでN君も無事だつた。
 人間はどれだけ物を誇張して考へるものだか。
 かう底が分つて見れば平氣なもので、それからも路はこの川を左岸へ渡つたり右岸へ越えたりしてゐたが、ざぶ/\腰の邊まで水につけて、杖で飛石を探りながら浸つて來た。日はいつの間にか暮れて、雨さへ降つて來たが、路がだん/\よくなつたので元氣づいた。どの位歩いたか知らなかつた。五時間あまり山を歩いたのだからまだ湯涌までは、よほど遠いと覺悟して、ある村へ着いたので、温泉場の路を聞かうととある家の戸口へ立つと、そこが宿だつた。

   カリガリ博士

 活動寫眞といふものはさう好きではない。殊に主題の淺薄な、プロツトの出鱈目な米國物を喝采してゐる觀客の氣が知れない。機械的に大がゝりな、氣の若い安價な彼等のイージーゴーイングな生活は、彼等の國民性だから仕方がないとしても、どの役者も、いたるところで見得を切る、ある動作にうつるまへには必ず、きざな身振りでまづ觀客の注意を引く、あれが實にいやだ。可笑しいことにあの世界の田舍物らしいメリケンスタイルを、マツチのすりやう、手の振りやう、肩の搖り方、歩き方、首の振り樣まで眞似て、銀座の歩道や、カフエーや、帝劇の廊下で實習してゐる若紳士を見かける。
 最近に來た獨逸表現派の「カリガリ博士」といふ映畫は、實に素晴しい物だつた。出てくる人物は少しも出てくると思はせない。全く彼等の生活の中に生活してゐる。それは實に靜かだ。數秒の間おなじ背景の前におなじ姿勢ポーズをして立つてゐても、觀る者の心は、息苦しいほど働いてゐるのだ。人物が歩いて來るとしても、豆人大の遠方から、等身大に見えるまで、一つ背景の中を來るのだ、背景は少しも變らない。從つて動きもしない。そしてその背景がまた素晴しい印象的な人工的な自然であつて、最も自然らしい自然だ、見ないものにそう言つただけでは解るまいが、背景も繪なら、人物も悉く繪なのだ。どうしてとつたものかその人物も悉く、輪廓の線の太い、描いたやうながつしりした背景にしつくりあてはまつてゐるのだ。これを見ると深山幽谷や風光明媚の地へわざ/\出かけて通俗な背景を作ることよりも、人工的なこの背景の方がどの位效果的エフエクチープだかわからない、つまり自然そのもの、寫眞よりも描いた背景の方が、ずつと本物らしく、感じが深いと言へる。人物の動作にしても、わかりきつた筋書を、さも尤もらしく、大の男が商賣、とは言ひながら、徒らにせか/\と運んでゐるのは馬鹿々々しい。捕るにきまつた山の中へ哀れな少女が出かけると、ちやんとそこには舞臺でおなじみの、觀客諸君にもかねてお馴染みの惡漢が、突然實に偶然らしく、ちやんときまつて表はれる從來の活動に比べると、表現派の方は、偶然や當然は通り越した必然さを持つて表はれる。尤も登場人物が狂人だから、役所の役人の椅子が馬鹿げて高く作つてあつたり、建築物が往來へ傾いてゐたり、空が三角形の破片で光つたりするが、この狂人の幻想が狂人の幻想でなく、やはり我々の中にある感覺にどこかしらぴつたりと入つて來て、自分も畫中の人物とおなじ幻想を感じるやうになつて來るのだ。就中、カリガリ博士がサーカスの馬車から逃げ出して病院へ歸る路すがらの風景とあの博士の歩き方は、歩くというより立つたま々で坂をずつと上つてゆく、羽化登仙とでも言ふ走り方は、もの慘いほどはつきり今でも眼の前に浮いて來る。參考のためのスケツチをこ々へ入れておかう。


ゆり

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どうだ、美しいだろう?俺は一日見てても飽きないぞ!
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 百合 Lily
花名の「ゆり」は、茎が細く花が大きいため、自然に風に揺れる様子から「揺すり」と呼ばれ、それが変化して「ゆり」になったともいわれ漢字の「百合」は漢名からで、ユリの鱗茎の鱗片葉が多数重なり合っていることに由来するといわれている。学名「Lilium(リリウム)」は、ギリシア語の「leirion(白色)」を語源とし、マドンナリリーの白花にちなむといわれ英語では「Lily(リリー)」、フランス語では「Lis(リス)」と呼ばれている。
ユリとギリシア神話
全知全能の神のゼウスが、眠っている妻ヘラ(結婚と母性、貞節を司る最高位の女神)の乳を息子のヘラクレスに飲ませた際、こぼれ落ちたヘラの乳が天の川(Milky Way)になり、地上にこぼれた分がユリになったといわれている。そしてユリはヘラの花とされ、清純、純潔、母性の象徴とされ、そのユリのイメージはキリスト教とも結びつき「純潔」のシンボルになってゆく。
ユリと絵画
聖母マリアに捧げられた純潔のシンボルである白いユリは、レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた有名な宗教画『受胎告知』でも、神の子の懐妊を告げる大天使ガブリエルの左手に描かれている。そして、17世紀にローマ教皇が聖母マリアの処女性を象徴する花として白いユリを描くように布告を出すと、白いユリは聖母を象徴する花となりマドンナリリーと呼ばれるようになる。

周年出回る花(最盛期は6~7月)。花色は赤、ピンク、白、黄、オレンジ、緑、複色など。

ユリの花言葉
キリスト教では白いユリ(マドンナリリー)が聖母マリアに捧げられた花であることから純潔のシンボルとされている。「純潔」「純粋」といった花言葉もこれに由来し「威厳」の花言葉は、ユリの堂々たる花姿にちなむ。赤・ピンクのユリの「虚栄心」は、キリストの磔刑が決まり、多くの花がキリストの運命を嘆いて首を垂れるなか、ユリだけは自分の美しさが慰めになると、誇らしげに頭を上げていた。しかし、キリストに見つめられると自分の思い上がりに気づき、赤くなって首をうなだれたという伝説に由来するといわれている。

「純粋」「無垢」「威厳」

色別の花言葉
白いユリ
「純潔」「威厳」
赤・ピンクのユリ
「虚栄心」
黄色いユリ
「偽り」「陽気」
オレンジのユリ
「華麗」「愉快」「軽率」
 
種類別の花言葉
カサブランカ
「威厳」「純潔」「高貴」
ヤマユリ
「荘厳」
テッポウユリ
「純潔」「甘美」「威厳」
オニユリ
「賢者」「富と誇り」
ササユリ
「清浄」「上品」
クルマユリ
「純潔」「多才な人」
カノコユリ
「慈悲深さ」「上品」
スカシユリ
「注目を浴びる」「飾らぬ美」
ヒメユリ
「誇り」
ヒメユリの詳細
 
 
ユリ誕生花
7月13日(テッポウユリ)、7月15日(ササユリ)、7月19日(黄)、7月24日、7月31日(ル・レーブ)、8月2日(カノコユリ)、9月1日(オニユリ)、11月18日(ヤマユリ、テッポウユリ)
 
 
 
立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花
女性の美しさを形容する言葉として「立てば芍薬(シャクヤク)、座れば牡丹(ボタン)、歩く姿は百合(ユリ)の花」がある。
この由来として、シャクヤクは茎の先端に花を咲かせ、ボタンは枝分かれした横向きの枝に花をつけ、ユリは風に揺れるさまが美しい。だから、シャクヤクは立って、ボタンは座って、ユリは歩きながら見るのが一番美しいという説がある。他にも、シャクヤクは美しい女性が立っているようであり、ボタンは美しい女性が座っているようであり、ユリは美しい女性が歩くようである、など諸説もある。
 
理想の女性とは
西洋では、バラ、ユリ、スミレはトリオで、バラは「美(beauty)」を、ユリは「威厳(majesty)」を、スミレは「謙虚(modesty)」と「誠実(faithfulness)」をあらわすといわれ、この3つを兼ね備えたひとが理想の女性といわれている。また、これらの花はいずれも聖母に捧げられ、多くの花々のなかで特別に扱われている(薔薇の時と同じだが掲載)。
 
ユリの種類
ユリは北半球に広く分布します。日本は観賞価値の高いユリの宝庫といわれている。「ユリの女王」といわれるカサブランカは、日本に自生するヤマユリ、タモトユリなどをもとに交配したもの。
カサブランカ
純白の大輪の花を咲かせ「ユリの女王」といわれる花。モロッコの都市の名を持つカサブランカは、日本のヤマユリ、カノコユリ、タモトユリなどを原種とする品種。1970年代にオランダで生み出され、世界的なブームを起こした。結婚式のブーケや贈り物としても喜ばれる花。
ヤマユリ
風貌が豪華で華麗であることから「ユリの王様」といわれる日本特産のヤマユリ。花名は山中に生えることからつけられた。7月~8月頃にユリの仲間のなかで最大級となる花を咲かせる。白い花びらの中心には黄色の筋が走り、紅色の斑点が散っている。日本に自生する花の中では例外的ともいえるほど強い芳香を放つ花。
テッポウユリ
原産地では4月~6月に純白で細長い筒状の花を横向きにつける。近縁種のタカサゴユリによく似ているが、通常タカサゴユリよりも小型。
オニユリ
草丈が1~2mになる大型のユリ。7月~8月頃にオレンジ色の花を咲かせ、花には濃褐色で暗紫色の斑点がある。花は大きく反り返る。
ササユリ
日本特産で日本を代表するユリ。葉や茎が笹に似ていることから名づけられた。5月~7月頃に淡いピンク色の花を咲かせる。同じようにピンク色の花をもちよく似たオトメユリ(別名:ヒメサユリ)があるが、ササユリの花粉の色は赤褐色、オトメユリは黄色くなっているところで区別する。
クルマユリ
高山帯から亜高山帯の冷涼な土地に自生するユリ。7月~8月頃に5~6cm程度のオレンジ色の花を咲かせ、花には濃紅色の斑点がある。
カノコユリ
日本では九州や四国に自生するユリ。別名は、ドヨウユリ、タナバタユリという。花名は花弁に鹿の子(かのこ)模様の斑点があることからつけられた。江戸時代に長崎オランダ商館の医官として滞在したドイツの博物学者シーボルト(1796~1866)がカノコユリの球根を日本から持ち出し、初めてヨーロッパで知られるようになった日本のユリとされている。

スカシユリ
日本の中部地方以北の海岸の砂礫地や崖、岩場に生育するユリ。太平洋岸の個体群では7月~8月頃、日本海側の個体群では5月~6月頃に10cm程度の赤褐色の斑点を持つオレンジ色の花を咲かせる。
植物スカシユリの詳細: Wikipedia
 
西洋の花言葉(英語)
Lily(ユリ全般)
「purity(純粋)」「refined beauty(洗練された美)」
White Lily(白いユリ)
「virginity(純潔)」「purity(純粋)」「majesty(威厳)」
Red Lily(赤いユリ)
「warmth(優しさ、暖かさ)」「desire(願望)」
Pink Lily(ピンクのユリ)
「wealth and prosperity(富と繁栄)」
Yellow Lily(黄色いユリ)
「gaiety(陽気)」「falsehood(偽り)」「I’m walking on air(天にも昇る心地)」
Orange Lily(オレンジのユリ)
「hatred(憎悪)」
Casablanca(カサブランカ)
「celebration(祝賀)」
 
開花時期: 5月~8月
出回り時期: 周年(最盛期は6~7月)
花持ち期間: 7~10日程度

 学名: Lilium spp.
和名: 百合(ユリ)
英名: Lily
原産地: 北半球の亜熱帯、温帯、亜寒帯
 
ユリを国花とする国
バチカン(マドンナリリー / ニワシロユリ)、フランス

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福井県 坂井市春江町 ゆりの里公園!最愛の人にプロポーズするなら此処をおススメする。但しゆりが咲いてる時期にな!


English Bible "Exodus 37"


Exodus
37
1 Bezalel made the ark of acacia wood. Its length was two and a half cubits,* and its width a cubit and a half, and a cubit and a half its height. 2 He overlaid it with pure gold inside and outside, and made a molding of gold for it around it. 3 He cast four rings of gold for it, in its four feet—two rings on its one side, and two rings on its other side. 4 He made poles of acacia wood, and overlaid them with gold. 5 He put the poles into the rings on the sides of the ark, to bear the ark. 6 He made a mercy seat of pure gold. Its length was two and a half cubits, and a cubit and a half its width. 7 He made two cherubim of gold. He made them of beaten work, at the two ends of the mercy seat: 8 one cherub at the one end, and one cherub at the other end. He made the cherubim of one piece with the mercy seat at its two ends. 9 The cherubim spread out their wings above, covering the mercy seat with their wings, with their faces toward one another. The faces of the cherubim were toward the mercy seat.
10 He made the table of acacia wood. Its length was two cubits, and its width was a cubit, and its height was a cubit and a half. 11 He overlaid it with pure gold, and made a gold molding around it. 12 He made a border of a hand’s width around it, and made a golden molding on its border around it. 13 He cast four rings of gold for it, and put the rings in the four corners that were on its four feet. 14 The rings were close by the border, the places for the poles to carry the table. 15 He made the poles of acacia wood, and overlaid them with gold, to carry the table. 16 He made the vessels which were on the table, its dishes, its spoons, its bowls, and its pitchers with which to pour out, of pure gold.
17 He made the lamp stand of pure gold. He made the lamp stand of beaten work. Its base, its shaft, its cups, its buds, and its flowers were of one piece with it. 18 There were six branches going out of its sides: three branches of the lamp stand out of its one side, and three branches of the lamp stand out of its other side: 19 three cups made like almond blossoms in one branch, a bud and a flower, and three cups made like almond blossoms in the other branch, a bud and a flower; so for the six branches going out of the lamp stand. 20 In the lamp stand were four cups made like almond blossoms, its buds and its flowers; 21 and a bud under two branches of one piece with it, and a bud under two branches of one piece with it, and a bud under two branches of one piece with it, for the six branches going out of it. 22 Their buds and their branches were of one piece with it. The whole thing was one beaten work of pure gold. 23 He made its seven lamps, and its snuffers, and its snuff dishes, of pure gold. 24 He made it of a talent† of pure gold, with all its vessels.
25 He made the altar of incense of acacia wood. It was square: its length was a cubit, and its width a cubit. Its height was two cubits. Its horns were of one piece with it. 26 He overlaid it with pure gold: its top, its sides around it, and its horns. He made a gold molding around it. 27 He made two golden rings for it under its molding crown, on its two ribs, on its two sides, for places for poles with which to carry it. 28 He made the poles of acacia wood, and overlaid them with gold. 29 He made the holy anointing oil and the pure incense of sweet spices, after the art of the perfumer.

出エジプト記
第37章
37:1ベザレルはアカシヤ材の箱を造った。長さは二キュビト半、幅は一キュビト半、高さは一キュビト半である。 37:2純金で、内そとをおおい、その周囲に金の飾り縁を造った。 37:3また金の環四つを鋳て、その四すみに取りつけた。すなわち二つの環をこちら側に、二つの環をあちら側に取りつけた。 37:4またアカシヤ材のさおを造り、金でこれをおおい、 37:5そのさおを箱の側面の環に通して、箱をかつぐようにした。 37:6また純金で贖罪所を造った。長さは二キュビト半、幅は一キュビト半である。 37:7また金で、二つのケルビムを造った。すなわち、これを打物造りとし、贖罪所の両端に置いた。 37:8一つのケルブをこの端に、一つのケルブをかの端に置いた。すなわちケルビムを贖罪所の一部として、その両端に造った。 37:9ケルビムは翼を高く伸べ、その翼で贖罪所をおおい、顔は互に向かい合った。すなわちケルビムの顔は贖罪所に向かっていた。
37:10またアカシヤ材で、机を造った。長さは二キュビト、幅は一キュビト、高さは一キュビト半である。 37:11純金でこれをおおい、その周囲に金の飾り縁を造った。 37:12またその周囲に手幅の棧を造り、その周囲の棧に金の飾り縁を造った。 37:13またこれがために金の環四つを鋳て、その四つの足のすみ四か所にその環を取りつけた。 37:14その環は棧のわきにあって、机をかつぐさおを入れる所とした。 37:15またアカシヤ材で、机をかつぐさおを造り、金でこれをおおった。 37:16また机の上の器、すなわちその皿、乳香を盛る杯および灌祭を注ぐための鉢と瓶とを純金で造った。
37:17また純金の燭台を造った。すなわち打物造りで燭台を造り、その台、幹、萼、節、花を一つに連ねた。 37:18また六つの枝をそのわきから出させた。すなわち燭台の三つの枝をこの側から、燭台の三つの枝をかの側から出させた。 37:19あめんどうの花の形をした三つの萼が、節と花とをもって、この枝にあり、また、あめんどうの花の形をした三つの萼が、節と花とをもって、かの枝にあり、燭台から出る六つの枝をみなそのようにした。 37:20また燭台の幹には、あめんどうの花の形をした四つの萼を、その節と花とをもたせて取りつけた。 37:21また二つの枝の下に一つの節を取りつけ、次の二つの枝の下に一つの節を取りつけ、さらに次の二つの枝の下に一つの節を取りつけ、燭台の幹から出る六つの枝に、みなそのようにした。 37:22それらの節と枝を一つに連ね、ことごとく純金の打物造りとした。 37:23また、それのともしび皿七つと、その芯切りばさみと、芯取り皿とを純金で造った。 37:24すなわち純金一タラントをもって、燭台とそのすべての器とを造った。
37:25またアカシヤ材で香の祭壇を造った。長さ一キュビト、幅一キュビトの四角にし、高さ二キュビトで、これにその一部として角をつけた。   37:26そして、その頂、その周囲の側面、その角を純金でおおい、その周囲に金の飾り縁を造った。 37:27また、その両側に、飾り縁の下に金の環二つを、そのために造った。すなわちその二つの側にこれを造った。これはそれをかつぐさおを通す所である。 37:28そのさおはアカシヤ材で造り、金でこれをおおった。
37:29また香料を造るわざにしたがって、聖なる注ぎ油と純粋の香料の薫香とを造った。

アジュガ

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家の庭で見た!多分庭の何処かで咲いてると思う!


アジュガ
青紫色の花を咲かせるアジュガの名前は、ギリシア語の「A(無い)」と「jugos(束縛)」の二語から作られていて、花の形が2枚の唇形の花びらからできているものの筒状の萼との境目がないことに由来している。

アジュガの花言葉

「心が安まる家庭」

花名
アジュガ
学名
Ajuga reptans
和名
セイヨウキランソウ
別名
西洋金?草、レプタンス(学名より)
原産地
ヨーロッパ
分布
ヨーロッパ、代表的なカバープラントとして世界各地に普及
生育地
日当り、半日陰のどちらでも良いが、湿気の多い場所を好む
主な開花期
4月~5月

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これを観に行ったことはないけどやはり人の家の庭とかで栽培してるのを偶然見て花名を調べたというのが出会いだよ。気づかなかったけどうちの庭にも有るとはね!

竹久夢二 随筆集「砂がき」より 私が歩いて來た道

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  私が歩いて來た道
       ――及び、その頃の仲間――

 旅に出て宿帳を書かされる時、いつも私はちよつとした迷惑を感ずるのが常だ。第一、住所に困る。生地とか生家とかならいつも明確に分つてゐるが、私には住所が東京にも宿屋しかない場合もあるし、日が暮れて宿る所が私にとつてその夜の住所である場合もあるし、「住所なんかないんだよ」と番頭に言つても「ごじようだんでせう」と言つて本當にしない。
 姓名も今では生みの親がつけてくれた名より用ひ馴れた方が自分にも人にも通りが好いし、本當らしいから、今では好きでないが使つてゐる。
 ところが一番困るのは職業だ。よく日本畫の大家なんか、「美術家」とか「畫伯」とかいつてゐるが、これを自分でかいたのかと思ふと少しをかしい。「ゑかき」も變だし「アーテイスト」「ペインター」もいけない。此頃では「ゑをかくこと」と餘儀なくかいておく。
 しかし實を言へば、私は自分で單に「ゑかき」だとも思つてゐない。「ゑかき」といふ商ばいはどうも好きでない。しかし、畫をかくことは好きだし、世の中で爲る事の中では、やはり一番眞劍で深くなつてゆけるし、この道はどの外の道よりも自分に適してもゐるし、幸福だと思つてはゐる。何かしら自分の技能で生活してゆくことも好いし、狹い人間生活のうはつらでうようよしないですむことも愉快だ。
 中學を中途でよして、東京へ出たのは十八の夏だつた。内村鑑三氏と安部磯雄氏の演説をきいて、どうしたものかお金持になつて、天才の貧民教育の學校を建てるつもりで、朝鮮へいつてゐるうち、死んだ島村抱月氏に招かれて再度上京して小説家になるつもりで勉強してゐたが、どうも文字で詩をかくより形や色でかいた方が、私には近道のやうな氣がしだして、いつの間にか繪をかくやうになつてしまつた。
 二十一の時だつた。私の下宿の近所に大下藤次郎という畫家が住んでゐた。今の新潮社の前身新聲社から「水彩畫の栞」という當時唯一のハイカラの畫の本をその人が書いたのを讀んでゐたのが縁で、描いた畫をもつて訪ねていつた。先生は私の畫を見て、
「私にはわからない、これは岡田君の許へいつたら參考になる話が聞かれるだらう」と言ふのだ。
 畫というのは、關口の水車場を描いた「ブロークンミル・アンド・ブロークンハート」(破れた水車と破れた心)といふので、暴風雨の翌日、水車場の水車が壞れて、そこへ水車場の主人が悲しさうな顏をして、水車を見てゐる圖だつた。
 岡田三郎助氏はやはり私の畫をわかつてくれられた。私はその時、美術學校へ入つて正則に勉強したい希望を述べると、先生は言はれる。
「美術學校という所は、畫のABCを教へる所だし、生徒をみんな一様に育て上げるのだから君には向かない。向かないばかりでなく、折角君の持つてゐる天分をこはすかも知れない」
「それでは私は勉強しないでもエラクなれませうか?」私はさう言つて訊ねた。
 岡田先生は「いや學校の生徒よりもつと勉強しなくてはいけない。自分の傾向に一番ふさはしいデツサンをしつかりやつて自分を自分で育ててゆかなくちやいけない」
「ではどうして、そのデツサンをやりませう」
「どこか自由な研究所へでもゆくと良い」
 そんな事で、それから一年後か二年後だつたか、その頃小石川の原町にあつた小林鐘吉氏の研究所へ通つたが、何でも三日ほど通つて、ゴムのかはりに使ふパンを三斤ほど食つただけでよしてしまつた。やはり多勢の人中で一所にわいわいやるのは私に性に合はなかつたらしい。
 岡田先生は、その時にも仰有るのだつた。
「正規に學校を出て、世の中へ出てゆくのはやさしいが、君の道は苦しいからその覺悟で元氣を失つてはいけない」
 果して私の道は苦しかつた。今でも苦しい。その苦しみの半面は、若い中學生諸君に話しても、つまらないし、また解つても呉れまいが、半面の苦しみは、つまり修業の苦しみ、製作の上の苦しみだから解つてもらへるかもしれない。
 自分はこれから畫論をはじめるつもりはないから、修業の上の思ひ出話を一つ二つして見よう。
 その頃、文展の第一回の展覽會であつたか、白馬會であつたか、利根川の上流をかいたべらぼうに大きな畫や、變な顏の赤白い女が花の前に立つてゐる畫が評判であつたが、あんな感覺も表情もない畫がどうして好いのかわからなかつた。それでも臆病な畫學生は誰にも言はないでゐた。しかし青木繁氏の「わだつみのいろこの宮」と藤島武二氏の「不忍池畔納涼圖」には感心した。今でも藤島氏は、尊敬もしてもゐるし、日本でほんたうの美人畫のかける人はあの人だとおもつてゐる。
 ある時、銀座の夜店で、獨逸の「シンビリシズム」といふ雜誌を買つて、複寫のすばらしい繪を手に入れた、その山の畫はよかつた。今おもふとたしか、あれは、イタリアのセガンチニイだつたらしい。これにくらべると、その頃評判だつた「白馬山の雪景」や「曉の富士山」なんか影がうすくてとても見られないと思つたが、これもやつぱり誰にも言はないでゐた。
 そんなことが獨學者には何かと不便が多かつた。セガンチニイは今でこそ日本のどんな畫學生でも知つてゐるが、その頃はたづねる友人もなかつた。その頃「ステユデイオ」なんて雜誌はどうもきらひで、獨逸の「ユーゲント」の古本を横濱から買つてきては、好きな畫をさがしてゐた。ヴエラスケスやチチアンやダ・ヴインチやミレーの畫集のシリーズが手に入るやうになつてから、非常に心強くなつてきた。といふのは日本のエライ人の中でも、ほんとうに尊敬出來る人と、エラクもなんともなくて、たゞ世間でエライ人があることがわかつたからだ。何故なら、外國のエライ人は、日本のエライ人よりも、ほんたうの畫をかいてゐることがわかつたからだ。
 日露戰爭がすんで四五年した頃だつたから、外國からも新しい畫本がどし/\舶來するやうになつて、先生の不自由はなかつた。その頃獨逸の本の中に日本の浮世繪のことをかいた本があつた。支那を研究したものも、はじめは珍らしかつたが、だんだん、支那や日本の昔のゑかきの中にも、外國人にまけないエライ――ほんたうのエライ人がゐる事がわかり出した。
 さうして僕の畫の先生は、ますます殖えていつた。
      ・その頃の仲間・
 その頃僕の畫室に集まつて一所にモデルを雇つて勉強してゐた人に、恩地孝四郎、久本信、小島小鳥、田中未知草、萬代恒志の諸氏がゐた。この中で田中と萬代は前後して死んでしまつた。二十代のもしくは三十歳前後の諸君の兄さんか姉さんは覺えておゐでだらうが、「萬代つねし」はその頃の雜誌に、美しいそしてすばらしくデリケートな「さしゑ」をかいてゐた。その頃やはり「さしゑ」をかいてゐて死んだ宮崎與平も、仲間で、よく一しよに寫生に出かけたものだつた。
 その頃は電車の中がいつもがらあきで、寫生するには持つてこいだつた。寫生する畫學生も少なかつたから、誰にも氣づかれずに平氣でやつてゐた。淺草公園やその頃の新橋の停車場などは、人間をかくに最も好いスケツチ場になつてゐた。
 姿の好い人の後をつけて、スケツチしながら歩くので、電信柱や人力車と衝突することは度々だつた。淺草へゆくと一日にスケツチ帖を五册位かいたものだ。カルトンを抱へこんで江川の玉乘の二階に、ドガ氣取りで構へ込んで、毎日やつてゐたこともあつた。その頃淺草に木下茂という可愛い少年畫家がゐた。太平洋畫會にゐて、實におもしろい畫をかいたものだつたが、此頃はすつかり日本畫に宗旨變へして未來派じみた畫をかいてゐる。淺草の女を描く事に於ては、木下君に自信もあつたし、みんなも囑望してゐたのだつたが。
 漫畫家の山田實君の兄さんに山田清といふ男がゐた。その頃學校の生徒で、素晴しいカラリストで、すてきな美しい芝居の畫をかく天才だつた。生きてゐたら、ちよつと得がたい人だつたらう。
 どうも「さしゑ」を描く人は夭逝するやうだ。それにはいろいろな理由もあるだらうが、挿畫家はどの畫家よりも神經を多量に疲勞させることも原因であらうし、この頃はまた殊に、ペンでかくので、白い堅い紙へ金屬をごしごし引かくのが神經系にがりがり響くのも好くないらしい。一面から言へば「さしゑ」は多くロマンテイシストがやるやうだし、また、自然に對し人間に對してすぐれた鋭い感覺と感激を持つたものが、多く「さしゑ」を描くから、得て、さういう人は病身だからとも言へる。
 この外にもまだ「さしゑ」をかいて死んだ人が二三人あるが、必要でもないから書くまい。「さしゑ」に較べて油繪や屏風の繪は、遙かにらくだ。心持の使ひ方が全身的で創作の上のまた表現の上の苦しみはまた一倍だが、神經的でなく愉快だ。
 私の油繪や水彩や草畫の個人展覽會をやつたのは、今からもう十數年前のことで、第一回は京都の圖書館の樓上だつた。その頃の個人展覽會で一日數千の入場者があつたことは未曾有だつたし、自分の作品を見に來てくれる人に感謝する心持で興奮して、事務室の窓のところから、蒼い秋の空を見ながら、一所にいつてゐた恩地君や田中君と手を握り合つて涙をこぼしたものだつた。あの頃のやうな純粹な心持はもう再び返つては來ないだらう。さう思うと、淋しくもなる。
 その折、アメリカの學者で來朝してゐた、ボストンの博物館長キウリン氏が、展覽會を見にきて、畫を買つてくれたり、外國行のことや、博物館を展覽會のために貸してくれる好い條件で、すゝめてくれたが、何だか外國へゆきたくなかつたのでいまだに約束を果さないでゐる。今にしておもへばあの時が最も好い機會だつたのだ。今は、外國で展覽會をよしやつても、あの頃のやうな純粹な感激を持つことは出來ないだらう。
 その後、フランスの後期印象派、未來派、三角派などが日本の畫学生に影響を與へた當時の仲間話はあるが、これだけにしておかう。
 讀者諸君の中に、將來畫をやらうと思ふなら、私の通つたような道を歩いてはいけない。やはり正規に中學、美術學校にいつて、帝展でも何でも出品して、やはり世間的に表通りを歩いてエラクなる方が好い。裏道は、萬人に向かない。



薔薇

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何処にでもある花だが愛しい人に贈る花には必ず入れる!そう、最も俺が愛する花!

薔薇 Rose
属名の学名「Rosa(ローザ)」は、古代ギリシア語でバラを意味する「rhodon(ロドン)」やケルト語で赤色を意味する「rhodd(ロッド)」が語源であるといわれ和名の「ばら」は、トゲのある低木の総称である「いばら(茨)」が転訛した(または、略された)ものといわれている。バラには通常「薔薇」の字をあてるが、この語は音読みで「そうび」「しょうび」とも読む。
バラとギリシア神話と絵画
愛と美と性を司る女神アプロディーテーがキプロス島の海から生まれたとき、大地が「自分も神々と同じように美しいものを創造することができる」といって、バラの花を生み出したといわれている。その様子は、ルネサンス期のイタリアの画家サンドロ・ボッティチェッリ(1445年~1510年)の名画『ヴィーナスの誕生』に描かれている。
ブルーローズの物語
昔から青いバラの品種をつくることが世界のバラ愛好家の夢とされてきた。お酒で有名な日本のサントリーがその夢への挑戦をおこない、14年の年月を経て、2004年に開発に成功し、世界初の青いバラを誕生させた。2009年から「サントリーブルーローズ アプローズ」(花言葉「夢かなう」)として発売されている。 
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理想の女性とは
西洋では、バラ、ユリ、スミレはトリオで、バラは「美(beauty)」を、ユリは「威厳(majesty)」を、スミレは「謙虚(modesty)」と「誠実(faithfulness)」をあらわすといわれ、この3つを兼ね備えたひとが理想の女性といわれている。また、これらの花はいずれも聖母に捧げられ、多くの花々のなかで特別に扱われている。


周年出回る花(最盛期は6月)。花色は赤、ピンク、白、青、黄、オレンジ、緑、紫、複色など。

バラ全の花言葉
愛と美の象徴であるバラ。花の色別、つぼみ、トゲにも花言葉があり、あらゆる花のなかでその数がもっとも多くなる。古くから想い人へ気持ちを伝える花として用いられ、花言葉のほとんどが恋愛に関するもの。
 
「愛」「美」
 
色別の花言葉
赤いバラ
「あなたを愛してます」「愛情」「美」「情熱」「熱烈な恋」
白いバラ
「純潔」「私はあなたにふさわしい」「深い尊敬」
ピンクのバラ
「しとやか」「上品」「感銘」
青いバラ
「夢かなう」「不可能」「奇跡」「神の祝福」
黄色いバラ
「愛情の薄らぎ」「嫉妬」「友情」
赤いバラのつぼみ
「純粋と愛らしさ」「純粋な愛に染まる」
白いバラのつぼみ
「恋をするには若すぎる」「少女時代」
バラのトゲ
「不幸中の幸い」
 
バラ誕生花
2月25日、3月26日(ピンク)、6月1日(赤)、6月7日(黄)、6月19日、7月14日、7月15日、7月17日(白)、7月29日(黄)、11月15日(オレンジ)、12月11日(白)、12月15日(赤)、12月25日

 
西洋の花言葉(英語)
Red Rose(赤いバラ)
「I love you(あなたを愛してます)」「love(愛情)」「beauty(美)」「passion(情熱)」「romance(ロマンス)」
White Rose(白いバラ)
「innocence and purity(純潔と純粋)」「I am worthy of you(私はあなたにふさわしい)」「reverence(深い尊敬)」
Pink Rose(ピンクのバラ)
「grace(しとやか、上品)」「gratitude(感謝)」「happiness(幸福)」
Blue Rose(青いバラ)
「mystery(神秘的)」「attaining the impossible(不可能なことを成し遂げる)」「love at first sight(一目惚れ)」
Yellow Rose(黄色いバラ)
「decrease of love(愛情の薄らぎ)」「jealousy(嫉妬)」「friendship(友情)」
Red Rose Bud(赤いバラのつぼみ)
「pure and lovely(純粋と愛らしさ)」「innocent love(純粋な愛)」「young and beautiful(若く美しい)」
White Rose Bud(白いバラのつぼみ)
「too young for love(恋をするには若すぎる)」「girlhood(少女時代)」
 
旬の季節: 周年
開花時期: 5月~10月
出回り時期: 周年(最盛期は6月)
花持ち期間: 3~7日程度
 
科・属名: バラ科バラ属
学名: Rosa spp.
和名: 薔薇(バラ)
別名: ソウビ、ショウビ
英名: Rose
原産地: 北半球の温帯域
 
バラを国花とする国
イラク(赤いバラ)、オマーン(赤いバラ)、サウジアラビア、アルジェリア、モロッコ、イングランド、ブルガリア、ルクセンブルク、米国など。

薔薇の本数の意味
薔薇の本数の意味は知ってるけど愛する人に言葉で伝えられない思いを薔薇の数で告白する「愛そのもの」だから掲載すべきではない。つまり言えない程愛してる心の詰まった純真無垢な愛情表現なのさ。決して悪用してはいけない!
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薔薇風呂だけど何か勿体ない!セレブっていうのは花の価値が分かってるんかい!
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薔薇園は近場にもあるから観にいくよ!

海潮音 上田敏訳  アルトゥロ・グラアフ

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解悟 アルトゥロ・グラアフ

頼み入りし空なる幸の一つだにもル忠心ありて、
   とまれるはなし。
そをもふと胸はふたぎぬ、悲にならはぬ胸も
   にがき憂に。
 
きしかたの犯の罪の一つだにも、懲の責を
   のがれしはなし。
そをもふと胸はひらけぬ、荒屋のあはれの胸も
   高き望に。

ハナズオウ

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艶やかな色が印象的。遠くからでも分かる花!ただユダの木と呼ばれる種類もある。

花蘇芳 Chinese redbud
和名の「花蘇芳(ハナズオウ)」は、花色がスオウ(蘇芳)で染めた色(蘇芳色:黒味を帯びた紅色)に似ていることに由来し英語では中国原産のハナズオウを「Chinese redbud(中国のハナズオウ)」、南欧から西南アジアにかけて自生するセイヨウハナズオウを「Judas tree(ユダの木)」と呼んでいる。

春の花。花色は赤紫、赤、紫、ピンク、白。

ハナズオウ全般の花言葉
キリスト教の十二使徒の一人であるイスカリオテのユダは、イエスを裏切ったことを悔い、セイヨウハナズオウの木で命を絶ったともいわれている。このことから特に欧米においてセイヨウハナズオウは「Judas tree(ユダの木)」と呼ばれ花言葉の「裏切り」「不信仰」もこれに由来するといわれているがはっきりした事は伝書にはない。

「裏切り」「不信仰」

セイヨウハナズオウは、キリスト教圏、特に欧米では「ユダの木」(英語: Judas tree, ドイツ語: gewöhnlicher Judasbaum)と俗称されるように、伝統的に、イスカリオテのユダが首吊りに使った樹木であると看做されてきた。このような通念は、フランス語の通称「ユダヤの木(フランス語: arbre de Judée)」からおそらく誤って派生したものであろう(「ユダヤの木」とは、この植物が地中海方面に自生していることに関連した表現である)。以上引用

ハナズオウ誕生花
3月16日
 
西洋の花言葉(英語)
Judas tree(ハナズオウ全般)
「betrayal(裏切り)」「unbelief(不信仰)」
 
旬の季節: 春
開花時期: 4月~5月
 
科・属名: マメ科ハナズオウ属
学名: Cercis chinensis
和名: 花蘇芳(ハナズオウ)
別名: 蘇芳花(スオウバナ)
英名: Chinese redbud
原産地: 中国

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八王子久保山公園のハナズオウ!
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英人の単車魂へようこそ!

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