広島東洋カープ雑談コーナー

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背番号22が水沼さんだよ!
広島を支えて/6 広島東洋カープ元捕手・水沼四郎さん /広島
毎日新聞2016年1月9日 地方版

下積み時代の楽しみ 水沼四郎さん(68)
 「お好み焼き店をたたんでからは、もっぱら食べるのが専門よ」

そう話すのは、元プロ野球選手の水沼四郎さん(68)だ。広島東洋カープの初のリーグ優勝(1975年)、日本シリーズ連覇(79、80年)に貢献した名捕手。現役引退後、知人の勧めで妻と東広島市内でお好み焼き店を開き、14年間にわたって地元の食を支えた。現在は中区の繁華街でスポーツ居酒屋「しろう」を営み、週に1度はなじみの店にお好み焼きを食べに出かける。

 水沼さんは兵庫県尼崎市出身。69年、中央大からドラフト2位でカープに入団した。それまで広島とは縁がなく、最初に衝撃を受けたのが、広島独特のソバ入りお好み焼きだった。

 入団から3年間は、西区三篠にあった合宿所暮らし。当時はミットやバットなど野球用具の多くは自費購入で、手渡しされる月給も購入費などが差し引かれ、「袋を開けたら、1000円札が5枚だけだったこともある」と笑う。そんな下積み時代の楽しみが、合宿所の近所にあった駄菓子屋で、“おばちゃん”が焼いてくれたお好み焼きだった。「5枚も焼けばいっぱいの小さな鉄板でね。練習の合間に立ち寄っては、(具を生地に混ぜ込んで焼く)関西風にしてくれって無理やりお願いしたこともあった」と懐かしむ。今はなき店が、水沼さんにとっての広島のお好み焼きの原点だ。

 正捕手の座をつかんで75年にリーグ初優勝を果たすと、79年には念願の日本一に。この年、江夏豊・元投手をリードした日本シリーズは、伝説の名勝負「江夏の21球」として今も語り継がれる。そんなカープの黄金時代、繁華街へ飲みに出かけると、締めはお好み焼きだった。「行きつけの店で、常連客からよく励まされたよ」と振り返る。

 中日ドラゴンズを経て、83年に現役を引退。広島に戻り、夫婦でお好み焼き店を開くことを決めると、評判の店を食べ歩いた。味にこだわり、キャベツの蒸し加減や市販品にケチャップなどをブレンドした独自ソースは常連客に評判だった。2007年に脳梗塞(こうそく)で倒れ、店を閉めることになったが、その後懸命なリハビリを経て居酒屋を経営するまでに回復した。

 「しろう」には知り合いから贈られた鉄板があり、予約があれば妻がお好み焼きを焼くこともあるという。「最近はソバよりうどん入りが好きかな。やっぱりカープが強ければ広島は盛り上がる。今の一番の楽しみは、カープが勝つことよ」

 カープとお好み焼き。原爆で廃虚と化した広島の復興を支えた二つの存在は、今も水沼さんの心の支えでもある。【加藤小夜】

水沼さん?親父もカープファンだったしビデオとか一緒に見てるから知ってるよ!
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