海潮音 上田敏訳  ジァン・モレアス


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賦 ジァン・モレアス

 
色に賞でにし紅薔薇、日にけに花は散りはてて、
唐棣色よき若立も、季ことごとくしめあへず、
そよそよ風の手枕に、はや日数経しけふの日や、
つれなき北の木枯に、河氷るべきながめかな。
 
噫、歓楽よ、今さらに、なじかは、せめて争はむ。
知らずや、かゝる雄誥の、世に類無く烏滸なるを。
ゆゑだもなくて、徒に痴れたる思ひ、去りもあへず、
「悲哀」の琴の糸の緒を、ゆし按ずるぞ無益なる。
 

 
ゆめ、な語りそ、人の世は悦おほき宴ぞと。
そは愚かしきあだ心、はたや卑しき痴れごこち。
ことに歎くな、現世を涯も知らぬ苦界よと。
益無き勇の逸気は、たゞいち早く悔いぬらむ。
 
春日霞みて、葦蘆のさゞめくが如、笑みわたれ。
磯浜かけて風騒ぎ、波おとなふがごと、泣けよ。
一切の快楽を尽し、一切の苦患に堪へて、
豊の世と称ふるもよL、夢の世と観ずるもよし。
 

 
死者のみひとり吾に聴く、奥津城処、わが栖家。
世を終ふるまで、吾はしも己が心のあだがたき。
忘恩に栄華は尽きむ、里鴉畠をあらさむ、
収穫時の頼なきも、吾はいそしみて種を播かむ。
 
ゆめ自らは悲まじ。世の木枯もなにかあらむ、
あはれ侮蔑や、誹謗をや、大凶事の迫害をや。
たゞ詩の神の箜篌の上、指をふるれば、わが楽の
日毎に清く澄みわたり、霊妙音の鳴るが楽しさ。
 

 
長雨空の喪過ぎて、さすや忽ち薄日影、
冠の花葉ふりおとす栗の林の枝の上に、
水のおもてに、遅花の花壇の上に、わが目にも、
照り添ふ匂なつかしき秋の日脚の白みたる。
 
日よ、何の意ぞ、夏花のこぼれて散るも惜しからじ、
はた禁めえじ、落葉の風のまにまに吹き交ふも。
水や曇れ、空も鈍びよ、たゞ悲のわれに在らば、
想はこれに養はれ、心はために勇をえむ。
 

 
われは夢む、滄海の天の色、哀深き入日の影を、
わだつみの灘は荒れて、風を痛み甚振る波を、
また思ふ、釣船の海人の子を、巌穴に隠ろふ蟹を、
青眼のネアイラを、グラウコス、プロオティウスを。
 
又思ふ、路の辺をあさりゆく物乞の漂浪人を、
栖み慣れし軒端がもとに、休ひゐる賎が翁を、
斧の柄を手握りもちて、肩かゞむ杣の工を、
げに思ひいづ、鳴神の都の騒擾、村肝の心の痍を。
 

 
この一切の無益なる世の煩累を振りすてて、
もの恐ろしく汚れたる都の憂あとにして、
終に分け入る森陰の清しき宿求めえなば、
光も澄める湖の静けき岸にわれは悟らむ。
 
否、寧われはおほわだの波うちぎはに夢みむ。
幼年の日を養ひし大揺籃のわだつみよ、
ほだしも波の鴎鳥、呼びかふ声を耳にして、
磯根に近き岩枕、汚れし眼、洗はばや。
 

 
噫いち早く襲ひ来る冬の日、なにか恐るべき。
春の卯月の贈物、われはや既に尽し果て、
秋のみのりのえぴかづら葡萄も摘まず、新麦の
豊の足穂も他し人、苅り干しにけむ、いっの間に。
 

 
けふは照日の映々と青葉高麦生ひ茂る
大野が上に空高く靡かひ浮ぶ旗雲よ。
和ぎたる海を白帆あげて朱の曾保船走るごと、
変化乏しき青天をすべりゆくなる白雲よ。
 
時ならずして、汝も亦近づく暴風の先駆と、
みだれ姿の影黒み蹙める空を翔りゆかむ、
嗚呼、大空の馳使、添はばや、なれにわが心、
心は汝に通へども、世の人たえて汲む者も無し。
 
 
 
 
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