竹久夢二 随筆集「砂がき」より 西京雜信

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   西京雜信

 A君。
 東京の方から偶々訪ねて來る朋友はきまつて「京都は面白いだらう」と聞く。私はまたきまつてかう答へた。「京都つて言ふところはお金をたんまり持つて旅人として遊びに來るには好い所だが、住むに好い所ぢあないね、やつぱり東京の方がどんな生活でも出來るし、長く住んだせゐか氣樂だよ」京都へ住むやうになつてから、彼是もう半歳になる。桓武天皇以來、長いこと天子樣のお膝下にゐた京都の町人はおそろしく卑屈になつてゐる。おかみの仰有ることには一も二もなく恐れ入つてしまふ。この反面に所謂官僚は電車の車掌も郵便配達も、文展側の畫工すらも、そりかへつて威勢を張つてゐる。
 しかしA君。おもしろいことには、その反動かして若い知識階級インテリゲンチヤのうちには、反官僚的な面白い現象がある。學生の生活もひどく自由で社會問題に興味を持つてゐるものが非常に多いやうだ。
 A君。この通信にこんなことを書くつもりではなかつた。僕の京都の午砲のことを書きたいと思つたのだ。京都の街を歩くたびに思ふことが、この古い靜かな街が、大阪のやうに急進的にいろんな方面で膨脹した都會の影響を受けて、古い好いものが破壞せられてゆくのである。去年あたりまで高臺寺の靈山で打つてゐたドンは、その響のために古い建築物にゆるみが來るといふ理由でおやめになつて、此頃では、市の議事堂で、街の人たちが牛と稱してゐてるオーと云ふ素睛しく不愉快な音響を出す機械に代へられた。この音響の爲に此度は生きた人間の耳が、癒すことの出來ない程害せられてゐることを耳鼻科の醫師から聞いている。そしてこの機械に市は何萬といふ高いお金を出したのだそうだ。そんなことはどうでも好いが、この不愉快な音響の代りに寺々の鐘を撞いて欲しいことである。丁度フランスのアンゼラスの鐘のやうに、京の街々から鐘の音が鳴響く時、私達はこの靜かな街に住む幸福をどんなに深く感じるだらう。木屋町の倡家で「幾時頃だらう」とある客がたづねたら傍の舞姫は「待つてお居やすや」と言ひながら靜かに立つて露臺へ出て川向ふの寺を見てゐたが「お寺の門が閉つたさかい五時頃だすやろ」と言つたといふ。電車の停留所さへ毎日違ふ京都の街に一秒二秒を爭ふ正確な午砲の必要が何處にあらう。
 A君。私はほんたうに京都の街を愛してゐる住民の一人です。
         ○
 Sさん。
 たしか去年の夏大阪の柳屋でお目にかゝつて以來お目にかゝりません。あなたの東京の話やいたこや松岸の話も聞きたいと思ひながらまだ逢ふ時がないのを殘念に思つてゐます。京都の六月には何もこれと言つて書くやうな芝居もありませんでした。中旬に伊庭孝の一座と言ふよりは高木徳子の一團がと言つた方が好いかも知れませんが歌舞伎座へ來ました。チヨコレート兵隊以來フアストの惡魔以來、伊庭君の舞臺を知らない私も、徳子との噂も、演伎座のいきさつも風のたよりには聞いてゐたけれど、かうした旅先きでこんな芝居を見るのも不思議な氣がします。そして私は、徳子がアメリカの田舍を曲馬師のサアカスに加はつて俗受けの鄙ひな唄を歌つて踊つた時代をこそ見たいと思ひました。かう考へるのは、必ずしも徳子を侮辱した事ではありません。私は考へるのです。小屋や劇團の柄がらから言つても、第一流のものが必ずしも好きにはなれません。二流三流或は時代から全くかけはなれたものゝ中に――文學でも美術でもさうです、傍流の中に我々の生活に最も近い、親しみの深い、しみ/″\と身も魂も打込めて流れるものを感ずることのあるのは、誰もが曾て經驗したことだと思ひます。その心持で、千鳥の聲と京阪電車の騷音を併せ呑む有名な鴨川よりも、智恩院の御門前から繩手を經て大和大路の方へ靜かに流れてゆく、白河のせゝらぎの方を私はどんなに愛すでせう。
 Sさん。
 私はこの意味で、あのおどけた壬生狂言から深い人間の遺傳や性の悲哀を知り、堀川や西陣の場末の安い席亭にかゝる「大津ぶし」に人生の哀音をきいたことを忘れません。
 それは芝居ばかりではありません。江戸でいふ「場ちげえ」ほどいやみなものはありません。
 Sさん。
 こんな風に考へて、歌舞伎座へ徳子を見に出かけた私は全く失望してしまひました。こんなことをいふと所謂劇通から笑はれるかも知れませんが、私は徳子を見たのはこれがはじめで恐らくこれが終りでせう。
 Sさん。
 京都は夏のゆくことが早う厶います。夕方になると祇園囃の笛の音が、四條の方から聞えて來ます。やがて晝間から戸をおろして店先きへ屏風をならべ、軒下で「じんべい」をきた子供達がギヤマンで作つたペコペンを鳴らし、大僧小僧は屏風のまへで將棋をさし、雪洞のかげでは中京のいとはんが打水した庭先きで團扇の風をやる景色を見るのも、遠くはないでせう。
 今日から文樂一座が南座へかゝるさうだし、盆興行には、扇雀一座のぼんち芝居がかゝるさうだからいづれまた改めて書き送ります。
         ○
 おときさん。
 君にも隨分暫く逢ひませんね。君の兄さんが飛行機から落ちてなくなつた時、私は旅にゐて新聞の記事でその事をよんだ。私でさへずしんと高い所から落されたやうな氣がした。人傳にも私を飛行機へ乘せてやると言つてゐたし、私も乘つて見たいと思つてゐたことがふいになつてしまつた。身勝手なことだがさう思つた。現在妹のおときさんの身にすれば、あんな死方をした兄をどんなに悲しんでおあげだつたかと、すぐにも手紙を書きたかつたけれど、つひのび/\に今日になつてしまつたのです。それが急に思ひ立つたやうにこの手紙を書く氣になつたのはかうです。先月の二十五日からこちらの南座でもと藝術座にゐた若い役者たちがした芝居が、亡くなつた兄さんの事を書いた「飛行曲」といふ芝居だつたからです。むろんそれは澤田中尉のことを仕組んだのです。故中尉の心事はどうあつたか、當時軍隊の事情はどうあつたか知るよしもないが、あの芝居にあらはれてゐる事件を、私は低級な觀客の一人として涙ながらに見たことをおときさんに知らせれば好いのです。
 澤田の扮した澤田中尉が佛國留學を命ぜられて横濱を出発する埠頭待合所の場で幕があく。筋書のかはりに繪本の中に書いてある梗概をこゝへ書きぬかう。
我飛行界新進の花形として多大の囑望を集めた天野中尉はある重大任務を帶びてフランスへ派遣を命ぜられたが半途にして歸國し歸國後打つて變つた樣に酒色の巷に耽溺し世間をして驚きと失望に陷らしめた。あまり激變、轉化。昨日の淵は今日の瀬とかはる浮世の習とは言へそれにはまた纒綿とした色々の祕密が含まれて夜の夢さへのどかならず、しかも一朝夢さめて怱如飛行機上の人となり我國未曾有の妙技を發揮し數萬の観衆の手に汗を握らせたが爆然墜落して可惜二十有餘の若木の花を散らせてしまつた。有意か無意か嬌艶牡丹のごとき藝妓小富、崇高百合の如きフランスの少女エンミイ、清楚バラの如き吉本將軍令孃美彌子によつてすべての祕密は物語られ訴へられ見る人悉く泣かざるなし。
 と書いてある。
 天野飛行中尉と相許してゐる將軍吉本の愛孃美彌子は、人知れず中尉を横濱の埠頭に送つて、海の方を向いて立つたまゝの幕切れは繪のやうでした。フランスの少女エンミイが天野中尉の友情に感じ、身が獨探の嫌疑を受け中尉に累を及ぼすことを悔いて鐡道自殺をしたという報を聞く中尉の思ひ入れで「なんだ酒だ、酒だ」という幕切れの澤田の藝は高田と高島屋とを交ぜて、それにこの人獨特の東京語とも地方語ともつかない一種の訛りのある言葉が、マンネリズムと感じない程度に話されてゐたのは、井上のあの京都のアクセントで話す東京語と好い對をなして面白いと思ひました。
 芝居の役々に就いての批評や筋の運びを、おときさんに話してもきつとつまらないからもう止めよう。故中尉のために多くの觀客が事實として實感的な涙をこぼしたことを、おときさんにお知せすれば好いのです。
 それから私達は、エンミイに扮した孔雀と、夕暮の清水を見に行つた。清水坂を上りながらふと聲に出した「紙治」の文句をきゝつけて
「この人はこの頃淨瑠璃をお稽古してゐるんです」と言ふ。
「ま、さう。聞かせて頂戴な」
「嘘言だよ」
 もう足かけ四年前になる、おときさんが僕の家に來ておときさんの絃で金公が「紙治」を語つたのは――。
 あの晩は面白い晩だつた。その頃まだそんなにポピユラアにならなかつたカチユーシヤの譜を作つたY君がSとかいふ聲樂家をつれて來て歌つたことも思ひ出される。
 私達が清水の舞臺へ上つた頃は、もうすつかり日が落ちて、京の街々は夕靄の中に沈んで、大路小路の街燈が遠く近く明滅してゐるのでした。
「まあ好いわねえ」
「あすこは何處?」
「あすこはねえ」
「えゝ」
「知らない」
「まあ!」
 名も知らぬ小川や、うす汚い裏小路に、人知らぬ愛情を持つてゐる私は、全く京都名所地理に不案内な案内者でした。
 音羽の瀧を上つた所で、私達は、四十ばかりの女につれられた若い娘を見ました。その娘は石を拾つては石の塔へその小石を投げてゐました。なぜさうするのかを尋ねたら「願ひが叶ふ」のだと年とつた女が娘に代つて答へてくれました。私たちも石を拾つて投げました。私のはうまく載かつたけれど孔雀君は駄目でした。「私は載らなくても好いのよ」と孔雀は言ひました。そのわけは私にはわかつてゐるけれどこゝには言ひますまい。私に關したことではないのだから。
 おときさん。もう筆を擱きませう。おときさんの絃で私が「紙治」を語る時がいつかあるでせうか。お母樣にもよろしく。さいなら。



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