竹久夢二 随筆集「砂がき」より  MEMOより

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 MEMOより

 街に住む人々に、時候のかはりめをいちはやく知らせるものは街樹である。私の部屋の窓から見える鈴掛の葉は、毎朝毎に秋が過ぎて冬の早く來たことを知らせる。慌しい生活のひまにこの年も過ぎてゆく。今日も鈴掛の木は道ゆく人に黄色な葉を投げてゐる。
 私が子供の頃には海老茶色が流行つた。シヨールなど今のやうではなくロシヤの女がしてゐるやうな大きなのであつた。髮もこの頃のやうな形のわるい束髮でなくずつと前髮をつめた、根の下つた品の好い形をしてゐた。半襟は江戸紫のビロードなど多かつたやうにおもふ。圖按のまづい半襟より無地の方がどんなに好いかわからない。
 成裝した少女よりは、さつぱりした常着の少女の方が氣持が好いのは、心の上にも姿の上にも調子がとれてゐるからであらう。たいへん立派な着物をきて反つて品の下つた卑しい感じのする少女がある。服裝がどんなにその人の心持を支配する力を持つかといふことを感じる。またその人の性格がどんなに服裝の趣好のうちに表はれるかといふことも感じる。平和に暮してゆく人はやはり調子のとれた生活をした人であるやうに、調子のとれた服裝をした人は氣持の好いものです。黒い髮の持主が色白く、赤い髮の持主が桃色の面をしてゐることも自然の巧みである。赤い髮の少女が深い紅色の花をさした美しさを見たことがある。形のうへばかりではない、心持のうへにも調子のとれた生活をしたい。これはあなたがたにいふのではない、私自身に言ふのである。
 しかし調子の好い人間といふのではない。あまり調子の好いのはたのもしいものではない。私等はあまりたやすくYesやNoを言つてゐるやうにおもふ。心持の調子とれた人は、あらゆる問ひに直に答へられる筈はないとおもふ。太陽は必ずしも赤くはない。霧の多い春先の太陽は青磁の花瓶より青い。よく澄んだ夏の富士川の流よりも、冬の黄色い隅田川の水の美しく見えることさへある。昔から美しいと思はれたものを直に美しいと考へることは間違つてゐる。

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